1987年(第1回)のFNSの日
- 出演者の名前などは当時のものです。
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FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島
放送日 | 7月18日(土)よる9時〜19日(日)よる8時54分 |
総合司会 | タモリ、明石家さんま |
出演 | ビートたけし、島田紳助、所ジョージ、山本晋也、片岡鶴太郎、渡辺正行、薬師丸ひろ子、原田知世、少年隊、武田鉄矢、石原真理子、笑福亭鶴瓶、露木茂 ほか |
テーマ | 夢・家族 |
視聴率 [瞬間最高] | 19.9% (歴代1位) [38.1%] |
ゼネラルプロデューサー | 横澤彪 |
演出 | 三宅恵介、荻野繁 ほか |
制作著作 | FNSフジネットワーク24社 |
記念すべき第1回目。長時間番組(テレソン)といえばチャリティー≠ニいう当時の既成概念を覆し、フジテレビにしか出来ない24時間テレビをやろうと、1回限りということで企画され、「オレたちひょうきん族」のスタッフを中心に制作された。
総合司会はゼネラルプロデューサー横澤さんが手掛けた代表的な番組「笑っていいとも!」の司会者タモリさんと、前年1986年のドラマ「男女7人夏物語」が大ヒットし、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気者となったさんまさん。タモリ、さんまのご両人は毎週、「いいとも」金曜日の名物コーナー「日本一のサイテー男」(テレビ史上初めて雑談を番組として成り立たせた伝説的なコーナー)で爆笑トークを繰り広げていた。
番組冒頭のタモリさんの第一声は「コンバニヤ」。フライデー編集部襲撃事件によりテレビ出演を自粛していたたけしさんが事件後初めてフジテレビの番組に登場。タモリ・たけし・さんまの"BIG3"がそろい、謹慎中のたけしさんの爆笑エピソードなどで盛り上がった。(ちなみに、3人のゴルフ対決は1988年の正月が第1回の放送だが、第1回の番組タイトルには「BIG3」の冠はない)
この年の夏には東京・晴海と大阪でフジサンケイグループの総力を挙げたイベント「コミュニケーションカーニバル 夢工場'87
」が放送日と同じ7月18日に開幕し、会場からの中継も番組内に織り交ぜられた。
当時は24時間ぶっ通しでバラエティー番組が放送されること自体が前例のないことであり、チャリティーの24時間テレビのほうでは、放送中に司会者が愚痴をこぼしたり、「疲れた」と口にしたりはしないが、こちらは司会者の「本音」がリアルにオンエアされ、新鮮に感じられた。また、ニュースやスポーツコーナーもタモリさん、さんまさんがキャスターを務めるなどしたことも当時としては非常に画期的であった。放送中に募金≠ェ届けられるなど、さまざまなハプニング≠ェ起こった点でも視聴者の関心を集めたと思われ、24時間の平均視聴率は19.9%という驚異的な数字を叩きだし、以後一度もこの歴代最高視聴率が破られたことはない。
企画、出演者、内容すべてがフジテレビにしかできない、他局では絶対に真似のできない唯一無二の24時間テレビとしてテレビの歴史に深く刻まれたと言っても過言ではない。