カッキーの今日、思ったことオブ・ザ・イヤー2004

カッキーが2004年に思ったことの中で3つを選びました。

2004/4/9 【火事場泥棒】
 この騒ぎに乗じて、"自衛隊撤退"を声高に叫ぶ連中。

 こりゃ、火事場泥棒だ。

 この「火事」を、実は待ってました!と思ってんじゃないのか。

 「人命、人命」というが、その人命を道具に自らのエセ平和主義をごり押ししようとしているようにしか見えない。

 出ました、困ったときの署名。

 それともう一つ。

 拘束された3人の"氏素性"というのは今のところ、よくわからない。なので、それについてどうこう言うのはいまのところ控えたい。ただし、政府の勧告いや警告に逆らって、イラクに出向いた人たちであることには間違いない。少なくとも、イラクへ行くということは、命の危険にさらされるという自覚は本人達にあったに違いない。

 なのに、その政府に何をしてでも救ってくれと懇願する家族の姿は、私には滑稽に見える。

 もちろん、わが子や家族を思う気持ちを愚弄する気は毛頭ない。しかし、しかしである。私は笑ってしまった。家族の一人の言葉に。

 テロリストを糾弾するでなく、自衛隊撤退を拒否した政府の姿勢を批判する言葉に。ははは、ご冗談を、である。悪いのはテロリストではないのか。それを差し置いての政府批判とは、この方たち(もちろんご家族全員ではなく、その中の一部)の思考方向がひだ・・・。(人の命に関わる問題なので、今回は以下自主規制)

 と、ここまで書いてたら、ニュース23に家族の皆さん登場。

 見てたら、またいろいろ書きたくなってしまうので、チャンネルを変える。

2004/4/14 【世間の風向き】
 「人命を尊重してくれ」とカメラの前で絶叫する親。

 そんなに大事な命なら、なぜ行くの止めなかったんだよ。テメーのガキだろ。簡単にイラクという危険な地域に放ってしまうその安モンの命のために、どれだけの人が迷惑を被り、どれだけの人が動いているのかわかっているのかね。

 そしていかにもな感じで余計に嫌な感じなのが、ここへ来ての「ご家族のみなさま」の心変わり。

 急に謙虚な姿勢を見せ始めた。「感情的な行動をお許しを」だって。

 ぷっぷっぷのぷーである。

 嫌がらせがあって、初めてその態度を改めるのかね。「若い娘と息子」って、オイ、30過ぎてて、若いもあるもんか。(もちろん"嫌がらせ"は非難されるべき許しがたい悪行であり、バカのすることです。そんなことをしても一銭の得にもなりません)

 特別な主義や主張、偏向的な考えを持つわけでもない私の母親すらも、あの家族の居丈高な態度に疑問を呈していたのだから、世間でもそう思う人は少なくなかったのだろうね。

 ここへきて、あれだけ訴えていた「自衛隊撤退」の鳴りも潜めさせている。

 世間の風向きを受けて、その言動を変えることの卑しさ、浅ましさを感じずにいられない。

 一方、関西学院大学の学生達は、「世間のみなさま」に対する自己の責任を果たそうと行動している。

「自己責任」などという当たり前の言葉が不思議に飛び交った不思議な年でした。「わがまま」とか「勝手」とかいうことが恥ずべきことではなくなった今の日本を象徴する出来事と言えるかもしれません。「いいこと」は自分のおかげ、「悪いこと」は他人のせい、困ったときには他人に「何とかせい」と詰め寄る。弱った世の中になったものです。そして今もこのお三人さんはわが道を突き進み、世話になったという一部のグループに対しては頭を下げているようですが…。ちなみに、「責任」という語の意味にはすでに己がしたことに対するという意味が含まれているので、「自己責任」などという不思議な言葉は日本語には存在いたしません。

せきにん 0 【責任】
(1) 自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。
「―を果たす」「保護者としての―」

(2) 自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
「―をとって辞職する」「だれの―でもない」「―の所在」「―転嫁」

大辞林より。

2004/9/18 【愛している。どうしようもないほどに。】
 元法律屋のコミッショナーのほうは、自らの醜態に気付き恥ずかしくなったのかあっさりと逃亡をはかった。

 交渉終了後の記者会見の模様を私は最初、帰宅途中にカーラジオで聞いた。瀬戸山某の低脳作文朗読はさておき、そのあとの古田敦也という男の声にこの人はこれから泣き出すのではないかと思った。

 古田敦也は、作文の朗読という卑劣卑怯を斥け、自らの憤り自らの悔恨を自らの言葉でしぼりだしていた。その言葉には当然のように魂が宿っていたと言える。そんな"魂の言葉"が自分の口から発せられ、自分の耳に届くのである。動揺しないわけがあるまい。

 ラジオから表情は読み取れなかった。帰宅してテレビで改めて会見を見たが、彼は涙など見せてはいなかった。

 その後、フジテレビの番組に生出演した彼は、ファンからのFAXが読み上げられると、涙を流した。

 そのFAXの文面が特筆するほどに心震わされる内容だったとは私には思えない。中には古田氏の体を労わるような文言もあった。そんな労わりが彼の心に触れたなどということはないだろう。いわんやスト支持の反響の多さに嬉しくて涙がこみ上げたわけでもないだろう。

 それでも彼は泣いていた。

 彼は涙を止めることができなかった。

 古田敦也は野球をどうしようもないほどに愛しているのだ。好きで好きでたまらないのだ。あなたなしでは生きていけないのだ。

 そんな野球がいま目の前で嬲り者にされているのである。

 涙が止まるはずはない。

 愛するもののことを語るのに作文など読み上げる必要もない。

こちらも2004年を象徴する出来事でした。愛するもののために涙する・・・。古田選手はストライキによって「愛をさけ」んだのだと思います。

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