2001年9月9日(日)【先生】
友達のような関係の「先生と生徒」や「親子」がもてはやされていた(いる)。なんでも気軽に話せる先生は人気があり、交わされる言葉もタメ口=B「先生、○○してくれよ」、「先生、うざい」、「先生がやりぁあ、いいじゃん」、学校ではもう何年も前からこんな会話が日常化している。
しかし、これは間違っている。
はっきり言おう、友だちのような先生などあってはならない。先生が友だちの役をこなしたら、だれが先生の役をやるのだろう。先生がいない学校など、それは単なる子どもらの遊び場でしかない。たとえ、難しい方程式や文法を教えていようとも、それは、学校ではない。コミュニティー広場だ。
先生が子どもたちに教えるのは教科書に載っていることだけじゃない。そんなもんは教科書を読めばわかる。教えるべきなのは、教科書に載っていないもっと大事なことのはずだ。しかし、「友だちのような先生」には、それはできっこない。子どもたちにとって、それは先生ではなく、所詮「友だちのような人」でしかないのだから。
先生がいない学校で学んだ子どもが、社会のルール、というよりもむしろ、「人間と人間との繋がり」「人として大事なこと」を知っているわけがない。そりゃあ、わがままで自己中心的で自意識だけが過剰な人間が異常繁殖するはずだ。
先生たちよォ、子どもはお客さんじゃないんだ。たしかに先生という職業で、ごはんを喰ってるかもしれないけど、あんたらは「儲け」のために働いてるんじゃない。もっともっと「大事な部分」を任せている人たちなんだ。「友だちのような先生」なんて消防士が火ィ点けて歩いてるようなもんだぜ。警察官が泥棒してるようなもんだぜ。
もちろん、責められるべきは先生たちだけじゃない。学校と塾の区別もつかずに、いかにも子どもを学校へ行かせてやってると言わんばかりで、「これじゃ安心して学校に子どもを預けられない」なんて平気で言うバカ親、学校だって、本当はてめぇなんかの子どもに来て欲しくないよ。何かあれば全ての責任が学校や先生で、それでいて、いつも子どもに食わせてるのはカップ麺のバカ親。
でも、今のところ日本の法律では、親になるのに免許や資格はいらない。動物と一緒で本能のままに身を任せてる連中に限ってばかばか産んじゃう。少子化より劣子化を案じるべきだよ。
昨日、女子中学生が高速道路に放置されて亡くなった事件の容疑者が捕まった。中学校の教師だった。ショックだった。被害者や容疑者に関係していた子どもたちは、もっとショックだったと思う。
なにも先生たちに、聖人君子になって、酒も煙草もやるな、常に教育のことだけを考えてろって言うんじゃない。ただ、先生は少なくとも「先生」でなければ困る。事件になるようなことはもちろん、「友だちのような先生」なんていうのも、やっぱり困る。