富山県婦中町にある某中学校では、学校内のテストを無監督で行っているとか。
「信じあう心」なるモノを標榜し、生徒のカンニングなどはありえず=A生徒も先生もお互いを信じて、ということらしい。
さらには、校内に数箇所ある購買ボックスも無人で、生徒が購入した文具の額を正直に≠サのボックスに納入する仕組みだとか。
そして、今年からは「信じあう心傘」なるものができ、ノートに名前を記入すれば、学校の一角にある傘を拝借でき、あとで元に戻せばいいというレンタル傘が登場したのだそう。
まぁ、これらのシステムについてはいろいろ言いたいこともあるんだけども、それはさておき、これを手放しで賞賛する愚マスコミが存在することには強い憤りを感じずにはいられない。
その代表が、地元痴呆紙「北日本新聞」。
情けない。これが新聞かね。サイトをリンクしてもいいのだけれども、日が経つと消えてしまうので(まぁ、あまりに愚劣な内容だから恥ずかしいのかもしれないけど(笑))、ここに全文をコピペ。
監督の先生がいない「無監督テスト」、金庫にお金を入れれば文房具が買える「無人販
売」。生徒を信じたこんな試みが、婦中町速星中学校で四十年以上も続いている。
今春、「信じあう心傘」と書かれた傘立てがお目見えした。中には、貸し出し用の傘三
十本が入っている。傍らのノートに名前を書けば、誰でも借りられる。借りた人は必ず返
すという信頼が根底にある。
以前、雨の日に傘の盗難が続き、貸し出し用のビニール傘をバケツに入れていたが、す
ぐになくなった。生徒会で対策を考え、ビニール製ではないちゃんとした傘を用意し、傘
立ても木製のしっかりしたものを作った。結果は、盗難は激減し、貸し出し用のものもき
ちんと返ってくるようになったという。
速星中には「信じあう学校」の理想が流れている。昭和三十年代、当時の校長の故室林
弥一さんが提唱し、無監督テストに踏み切った。「教師が生徒を信じないで何の教育であ
ろうか」と説いて回ったそうだ。無人販売では何度も挫折しかけた。その度に全校で「信
じあう心」を確認し、乗り切ってきたという。
先生も生徒も理想を追い続ける姿がすがすがしい。故サトウハチローさんから、こんな
詩が贈られている。「信じあう心/すてきです/うれしいことです/すばらしいことで
す…」(北日本新聞 平成15年11月27日付朝刊「天地人」)
あはは、この痴呆紙がこうも愚かだとは思わなかった。新聞はその記事の"ウラ"というものをいつからとらなくてもよくなったのだろう。
報道取材の術を持たないぼくでさえ、あるツテを頼ってこの学校の実態の話を聞くことができた。
そのワタクシの拙い取材によると、無監督テストの実態は、やはりカンニングがあるという。ここ最近はケータイを使ったものも。そりゃそうだ、だれも監督しないんだから、あって当然。信じあおうが、信じあわなかろうが、監督・監視のないところに不正があるのは当たり前。
さらに、「無人購買」についても、ぼくが「じゃあ、婦中町の本屋では中学生による万引きはないの?」と訊くと、「NO」の返事。学校ではどんなに「信じあって」いたって、一歩校外に出れば万引き横行では、信じあうもクソもない。
要するに、この「信じあう心」はかなり実態が怪しいのである。
これを無批判、無取材に賞賛する愚。
「先生も生徒も理想を追い続ける姿がすがすがしい。」とは、笑ってしまう。
理想にばかり目を向け、そこにある現実を無視してはなんにもなるまい。
そもそも、傘の盗難が相次いだから「信じあう心傘」ができたって、この時点で大きな矛盾じゃないのか。信じあうんだから、傘ドロなんて居ないはずだろーが。
政府やお上になら何でも批判のくせに。この手の理想主義には手放しで賞賛。「軍隊のないことが平和」という平和バカの考えがここにも及んでいるのである。
理想平和主義、だいっ嫌い。